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2006年06月21日
キャンドルナイト(ごっこ)
部材の数が揃ったので、木づくりに移る。
また明日から雨ということらしいので、湿度変化で部材の管理に気を使わされる。
それでも今のお仕事は、基本的に部材寸法が小さいので、比例的に収縮も小さくなり、角材ということもあり、木取り方向で木を使っていれば、比較的影響は少なめなので、時期的にこのお仕事にあたっているというのも、不幸中の幸いと前向きに考えておこう。
梅雨明け近くまで、比較的そういう影響の少ないお仕事が繋がっているのも、収入の割りを除けば、幸いかもしれない。(いや、根本的には幸いではないぞ、前向きすぎるのも考えものだ……。)
夏至と冬至の日の夜に『100万人のキャンドルナイト』というイベントが、数年前から行なわれているのだが、今年は満を持して我家でもイベントに参加してみることをいつもの如く急に宣言して、キャンドルを買って家に帰る。
何の前置きもなく、部屋中の電気を消してロウソクに火を灯しだしたので、宿題はできないわ、暗いから怖いと言われるわ、挙げくロウソクの火でお風呂に入らされるわで当初、不評も散々であったが、しばらくしてほのかな明かりに慣れてくると、じぶんちショールーム自慢のトチのテーブル(さりげなく宣伝と自慢もするわけだな。)の上に置かれた少しのキャンドルの明かりの前で、子ども達と、電気を消して過ごす意味を理屈っぽく語ってみたりしてみた。
暗くなると自然と眠くなるもので、そうこうする間にも子ども達の就寝タイムになり、なんとなくうたたねしてる間に、イベントの時間も過ぎてしまっていた。
そうして過ごして、改めて電気をつけてみると、良い悪い抜きにして、やっぱり明るい電気って便利だと思う訳で、そうすると今ある便利さをすべて否定するのではなく、必要なモノ、余計に使い過ぎているもの、そのあたりの分別をわきまえて生きる必要があるのではないかと思う訳。
それがいわゆる持続継続的社会という考え方に繋がっていくのではないだろうかとも。
サスティナブルだとか、ロハスだとか、言葉が先に踊ってもそれがキャッチーで興味を持たれる切っ掛けになることは、否定もなにもしないし、そもそもできない(今日もちゃんと踊ってるからね。)のではあるが、なんだかまどろっこしい言葉以前のなにかがあるようなきもしないでもない……。(なんだうやむやにするのか。)
うやむやうやむや……、今日はそんなとこ。
投稿者 KAKU : 2006年06月21日 23:59
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