2004年11月06日
秋田道夫氏
朝食を買いにコンビニへいって、何気なく雑誌を見ていると、なんだか見たことのあるお顔に目が留まり、よく読んでみると缶コーヒーのジョージアの賞品のオリジナルオーディオのデザイナーが紹介されている写真であった。
デザイナー秋田道夫氏とあったが、その名前は、自分がモノづくりは続けている以上、忘れることのできないお名前である。
少し髪に白いものが混じっていたが、あの頃と変わらない少し照れたような笑顔の写真がまぎれもなく、ご本人であった。
あれは十数年前のこと、今は無きアーバンデザインカレッジというデザインの専門学校に通い始めた頃、氏が造形の授業の担当教授であった。
当時、まったく異分野からモノづくりを生業にせんという心意気でデザインを学び始めたデザインのデの字も知らなかった自分であったが、周りの美大予備校上がりや、高校時代に美術部などでかじってきた連中の少しこなれた課題の作品を見て、デザインというのはなんだか奇抜なことをしないといけないのではないかと、違和感を抱きつつも苦悩して四苦八苦していた。
そんなある日、自分の姿を見かねたのか、授業の一環なのかは定かでないが、氏がデザインに対する持論を話してくださった。
今では、それがどういう話であったかは明確には覚えていないが、その本質的なことは、自分の考え方とシンクロして今でも根底に宿っているように思う。
その当時は、その話のほとんどは理解できていなかったかもしれないが、奇抜であるということ=デザインであるということではないという当たり前ながら、微妙に勘違いして陥りやすい溝から拾い上げていただいた、いうなれば恩人であり、いまなお尊敬する恩師の一人である。
ご指導いただいたのは、一年間だけであったが、時折、一線で活躍するプロの仕事の片鱗を見せてくださり、そのレベルの高さに驚きと、憧れを抱いたものであった。
早速事務所に戻って、氏のホームページを拝見すると、氏、独特の論調のコラムが秀逸で、すっかり虜になって読みふけってしまい、一日仕事にならなかった。
なんだか、懐かしいやら、嬉しいやら、もっと頑張らねば、と複雑な心境で、今日はそんなとこ。
投稿者 KAKU : 2004年11月06日 23:59
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